朝日放送「キャスト」をご覧頂いた方へ

2014年8月3日 日曜日

ご覧いただき、まことにありがとうございました。

数時間に及ぶ密着取材のデータを、わずか十数分にうまくまとめてありました。さすがプロですね!

でも、私の私生活がかなりクローズアップされ、反面、私が現在の成年後見制度に対して述べた意図した内容はすべてカットされていました。

次回がもしあれば、述べてみたいと考えています。

人生でたぶん一度だけのいい経験をさせていただきました。

ABC朝日放送「キャスト」で報道されます!

2014年7月28日 月曜日

テレビ出演が決まりました!

 

 

     日時  2014年7月31日(木) 午後6時頃(6時15分までに)

 

 

    番組名 キャスト (大阪ABC朝日放送6チャンネル)

 

    内容  私の日常の成年後見人としての活動内容の記録 

 

      ※長時間の密着取材を受けましたが、10分に編集してあるそうです。

 

            どうぞ、ご覧下さい!

ブログ試験

2013年11月9日 土曜日

2013年9月15日

2013年9月22日 日曜日

9月15日は、開業記念日です。

 

1997年9月15日に阿倍野元町で開業して以来、はや、16年の月日が流れました。個人的にも様々なことがありましたが、なんとか看板を下ろさずに17年目を迎えることができました。これもひとえにご依頼者様はじめ応援くださった多くの方々のおかげと感謝いたしております。

 

それにしましても、敬老の日に開業とは、今の「成年後見事務所」と言っていいくらい、高齢者の方々との関連が深い業務内容を思いますと、やはりお年寄りとのご縁が深かったのかもしれません。


頼りにしてくださる方々がいらっしゃる限り、士業には厳しい時代ですが、なんとか明日を目指して頑張ってゆく覚悟ですので、どうぞ、皆さま方、よろしくお願い申し上げます。

2013(平成25)年 謹賀新年

2013年1月3日 木曜日

平成も、はや25年。あれよあれよという間の月日の流れです。

 

昨年は、初めての著作「おひとりさまが死ぬまで自立して生きるための本」を出版しました。爆発的な売れ行きとはいえないまでも、いまだにずっと売れ続けていますのはありがたいことです。 (2013年1月3日現在紀伊国屋書店売れ行き 「年代別生き方」ジャンルでネット通販13位 店舗販売60位)


日本は今、大変な時期に差し掛かっていますが、この富士の山のように、ものともせずに泰然自若としていたいものです。


私は、今年も私のなすべき「今」を誠実に生きるのみです。


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本年もよろしくお願いいたします。

2012年2月20日、榊原秀剛の新刊が発売されます!

2012年2月8日 水曜日

タイトルは、「おひとりさまが死ぬまで自立して生きるための本」です。2000年からの成年後見人としての活動を通じて、心動かされたこと、思い出深い人々を念頭に、超高齢社会のなかでの後見人の役割とこれからを考えます。面白く、ちょっぴり悲しい物語です。

 

是非、お買い求め願います。

 

お求めは

amazon.co.jp

 

またはパブラボ出版部 03-5298-2280

http://www.seinenkouken.biz

 

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謹賀新年 2012年

2012年1月2日 月曜日

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今年は、いい年でありますように!


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すがすがしい青空の様な一年になりますように!

人間というもの

2011年7月2日 土曜日

NHKは、かつて食えない時代に「地域スタッフ」としてお世話になったこともあるのだが、基本的に好きになれない。地域スタッフ、平たく言えば、受信料を払っていない人のリスト(確かこういうものが用意されていたように思う)に従って個別訪問し、受信契約をお願いする職務だったと記憶しているが、ごちゃごちゃとした大阪の下町で、全身刺青に覆われた、一昔前の任侠映画に出てきそうなお兄さんに、どういう訳か上半身裸で出てこられて、

「なんじゃい、おのれは!」

「い、いえ、すみません」

と、ほうほうの態で、薄暗い木造アパートを飛び出したことを思い出したから、好きになれない訳でもない。

先日も、私の留守中に、「地域スタッフ」が、80歳になろうとする耳の遠い母を、勝手に妻に仕立て上げて、衛星放送の受信契約を結んでいったということもあったが、(ちなみに、私のテレビで視聴チェックという画面で調べても衛星放送は一切「受信できません」となる。)私の苦情対応に現れた、内勤事務スタッフの木で鼻をくくるような慇懃無礼な対応にも、この組織の性格が凝縮されている様で、とにかく私の体質に合わないようである。

そのNHKが、である。

ネットで偶然、何気なく検索していると「NHKオンデマンド」というものに出会った。NHKでかつて放映した番組をかなりの数、視聴できるシステムである。そう言えば、昔のNHKの番組は、格調も品格もあってよく観ていたものだなあ、などど、懐かしくいろいろと無料での「お試し視聴」で遊んでいると、「NHKスペシャル 映像の世紀」にたどり着いた。

1995年3月から1年かけて放送されたものであるが、加古隆さんの重厚なテーマ音楽に淡々と事実だけを手短に語る山根元世アナウンサーの語り口、そして当然ながらその事実としての映像の数々に圧倒された。圧巻であった。同時にこんないいものもかつては作っていたのだなあとしみじみと思ってしまった。

 

1.20世紀の幕開け カメラは歴史の断片をとらえ始めた

2.大量殺戮の完成 塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た

3.それはマンハッタンから始まった 噴き出した大衆社会の欲望が時代を動かした

4.ヒトラーの野望 人々は民族の復興を掲げたナチス・ドイツに未来を託した

5.世界は地獄を見た 無差別爆撃、ホロコースト、そして原爆

6.独立の旗の下に 祖国統一に向けて、アジアは苦難の道を歩んだ

7.勝者の世界分割 東西の冷戦ヤルタ会談から始まった

8.恐怖の中の平和 東西の首脳は最終兵器・核を背負って対峙した

9.ベトナムの衝撃 アメリカ社会が揺らぎ始めた

10.民族の悲劇果てしなく 絶え間ない戦火、さまよう民の慟哭があった

11.JAPAN 世界が見た明治・大正・昭和

 

以上は、各放送回数とタイトルであるが、ざっと目を通すだけでおわかりの通り、一言でいえば、戦争の歴史である。殺戮と暴行、差別と憎しみ、宗教対立、民族対立が渦巻く歴史である。個人が、民族が、国家が、エゴと怒りで、知恵のひとかけらもなく狂奔してきた歴史である。これをノンフィクションの映画として上映しようとすれば、間違いなく「R15」指定を受けざるを得ないほど、暴力シーンに満ち溢れている。

勝ったものが、あるいは負けたものが自己の暴力行為とその根底にある怒りを、自分のエゴにまみれた理屈で正当化し、正義だとし、ご都合よく「道徳」「モラル」とまで主張する。その惨状に、全知全能の唯一神が自分を模して作ったとされる人間のあまりの出来の悪さ、神が製造者なら明らかに製造者責任を追及される欠陥商品ぶりが、端的に表れているのみである。

たぶん人間とはこんなものなのだろう。それ以上のそしてそれ以下のものでもない。そういうものなのだろう。もちろん、殺戮の陰には、例えばその殺戮者も、我が子を愛でたり、道端の花に微笑みを送ったりなどという優しさも多く存在したことであろう。しかしながら今世紀に入っても続く世界各地の紛争や、個人の人権など微塵も顧みず自己の政治権力を温存するため法的には正当に「暴力」を繰り返すだけの散見される政治の状況を見てみると、この先の人間も基本的には単なる馬鹿に過ぎないと思われてくる。

 

「あんたもアホヤろ、うちかて、アホやは アッと驚くため五郎~」

なんていうのが一昔前にあったが、各自、理性のかけらもない存在に過ぎないと自覚して、他を害さぬよう、自分も害さぬよう、心して生きていった方がいいのかもしれない。

そういう思いで福島原発の不幸な遅々として進まない状況をテレビで見ていると、わかったような理屈をつけて他人に責任をなすりつけあっている。ああ、やっぱりそうか、と思いつつ、でも、人様の事はどうあれ、私自身、アホをさらに自覚しようと思わせた番組であった。

このたびの震災によせて~少しでもお心が穏やかになられますように~

2011年3月27日 日曜日

未曾有の災害に遭遇され、ご家族も財産もその他地縁、血縁も何もかも失われ、明日のことなど何も考えられず、ただただ避難所で過ごされている多くの方々に、何を申しあげればいいのか、本当に困ってしまいます。営々と築きあげてこられたものを一瞬にして失われ、「ひとりぼっち」になってしまわれた方も多くいらっしゃり、何をする気力も出てこないというのが本当のところでしょう。

でも、冷徹なところ、それでも、生きてゆかねばならないのが人生なのでしょう。

 

私は、成年後見人として、これまでに多くのお年寄りや障がいをもった方々のお世話をしてきました。戦後の高度成長を支え、豊かな日本を実現してきた多くの方々が今、年老いて、財産の多寡や親族の有無にかかわらず、「ひとりぼっち」の状態になってしまい、「自分はいったい何のために生きてきたのであろうか?」などと懐疑的になり、自分の人生を否定的にとらえて鬱々と過ごされている方も多く見受けられます。そんな人びとに対して、いかにして寄り添い、お心を少しでも穏やかにしていただけるかを考えて参りました。

司法書士ではそういった身上監護面では、資格としての限界を知り、社会福祉士を取得しそして今年、精神保健福祉士にも合格いたしましたが、その実習等の「学び」の中で、出会った一冊の本があります。今回、大震災に遭われた方々に、この本をご紹介させていただくことで私からのメッセージとさせていただきます。

その本とは、

「それでも人生にイエスと言う」 V・Eフランクル著  春秋社刊

です。

フランクルは、第二次世界大戦下、ナチスによって強制収容所に送られ、妻を始め多くの家族を失った精神科医です。収容所での体験を綴った「夜と霧」は、全世界で1,000万部以上の売り上げを誇る大ベストセラーとなりましたから、こちらの方で知っておられる方が多いかもしれません。

フランクルは、「ロゴセラピー」という精神療法を創始しますが、そこでは「生きる意味」を重視します。彼は、統計的手法に基づいた科学的調査の上、「人間はそのために生きる『何か』を必要とする存在である」と、人間を捉えます。それを欠き精神的な葛藤が生じるなかで心の病もつくりだされる場合があるとするのです。

ただ、ここで、注意していただきたいのは、この「何か」は、日本の戦後教育が誤った「個人主義」の中でつくりだしてきたエゴを助長するに過ぎない「自己実現」から導き出されるものではないということです。「世界でただひとつだけの花」とか、「かけがえのない自分」とかよく世間で言われているものは、確かにある意味ではそのとおりですが、そこでは、何かどこかに「自分」という永遠不滅の変わらない存在があり、その「自分」を伸長して生きるのが「自己実現」であり、自分を取り巻く外界世界も自己実現の単なる道具とみなしてきた変な風潮があります。

フランクルは、それとは逆に「われわれは人生から何を期待できるか」という自己中心的な人生観から180度コペルニクス的に転回して「人生は何をわれわれから期待しているか」という観点に変更されなければならないとします。

人生も自分自身をとりまく環境も刻々と変化してとどまるところを知りません。そんな中で人生から何かを期待でき「自己実現」できる人というのはごく限られた人でしょう。たまたま親や親族に財力があり健康にも恵まれ、いい大学に合格でき、難しい資格試験等に若くして合格できた人や、自己顕示欲や蓄財に並々ならぬ情熱を持ち続け、それを許す環境の中にいた「勝ち組」と称されるごくわずかな人達です。

私が、精神保健福祉士の実習先でお世話になった病院で出会った、アルコール依存症の方々の中には、完治しない病ゆえに、仕事、家族、財産、健康さえも失った多くの方々がいらっしゃいました。また、私の担当してきた高齢者の中には、懸命に生きてきたにもかかわらず誰が訪れることなく、失意の中、不自由な四肢で、一日中、病院のベッドで過ごす方もおられました。そういう、「生きづらさ」を感じておられる方々に、「自己実現的な」人生の意味を見出していただくのは全く酷な話しです。

フランクルは、この「人生は何をわれわれから期待しているか」という視点から、人生の価値を「創造的価値」、「体験価値」、「態度価値」に分類しています。人生は、その人その人によって、瞬間、瞬間、さまざまな問いかけをしてきます。われわれはそれに対してさまざまに応えなければなりません。フランクルの言う3つの価値についての詳しいところは、省略させていただきますが、人生のどんな局面においても人生はわれわれに期待するものがあり、そこに価値を見いだせるのだということを、「態度価値」を説明した次のエピソードから見てとることができます。

(なお、これまでのフランクルに関する私の説明は、私の主観が多分に混じったものです。少しでもお心が落ち着かれましたなら、是非、ご一読をお勧めいたします。)

 

或る悪性の脊髄腫瘍を患った男性は、死ぬ直前にフランクルにこう語ったという。「午前

の病院長の回診のときに聞いて知ったのだが、G教授が、死ぬ直前の苦痛を和らげるため、死ぬ数時間前に私にモルヒネを注射するように指示したんです。だから、今夜で私は「おしまい」だと思う。それで、いまのうちに、この回診の際に注射を済ましておいてください。そうすればあなたも宿直の看護婦に呼ばれてわざわざ私のために安眠を妨げられずにすむでしょうから」。もはや変えることのできない運命に対して、この人がとった「態度」についてフランクルは次のように述べている。「この人は人生の最後の数時間でもまだ、まわりの人を『妨げ』ずにいたわろうと気を配っていたのです。どんなつらさにもどんな苦痛にも耐えた勇気はともかくとして、こういうさりげない言葉、このようにまわりのことを思いやる気持ちを見てください。まぎれもなく死ぬ数時間前のことです。ここにすばらしい業績があります。職業上の業績ではないにしても、人間らしい無比の業績があります。」~「それでも人生にイエスと言う」春秋社刊 196ページ12行から197ページ5行まで抜粋~

 

私事で恐縮ですが、私は、私の無明から、家庭を失い、最愛の子どもたちとも会えない毎日を送っています。私のエゴからくる自己実現では、優しい妻とかわいい子どもに囲まれて楽しい家庭生活を送るつもりでしたが、現実は、全く逆になっています。夫婦が別れるのは、お互い人格的にお粗末ゆえに致し方ないところですが、かわいそうなのは子どもです。日本では、性格の不一致の様に、どちらか一方に明らかな離婚原因となる有責性が存在しない場合でも、子どもが小さい時は、決まって母親が親権者となり、父親は養育に対して全く蚊帳の外に置かれます。こういう離婚後の単独親権制をとる国は先進国では日本とロシアだけです。欧米諸国では離婚後も共同親権が当たり前のことです。

人生が私に与えた課題として、私の場合は、「共同親権運動」に取り組んでいます。

東北地方太平洋沖地震の被災者の方々へ

2011年3月12日 土曜日

このたびの災厄に対し、被害の甚大さを思います時、おかけする言葉にも困ってしまいます。

 

なにとぞ、なんとかお力をお出しになって、立ち上がって下さいますよう心からお祈り申し上げます。

 

わたくしどもも、微力ながらできますることを考えながら、お役に立てればと願っております。同時代を生きる者として、限りなき共感を胸に、皆様のおこころが少しで穏やかになられますよう、心から願っております。

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