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「寅さんは、もう、いない」


日曜の午後6時30分と言えば、フジテレビの「サザエさん」が長年、高視聴率を独占してきました。テレビ放映の開始は昭和44年、九州の新聞「夕刊フクニチ」への連載開始は昭和21年のことだそうです。サザエさんを中心に、その夫のマスオ、父波平、母フネ、弟カツオ、妹ワカメという大家族が、隣に住む伊佐坂先生や三河屋さんをはじめ地域社会の中で、ほのぼのと温かく物語を織りなす誰もが知っている人気アニメです。ちなみにこのなかでの波平はまだ、54歳という設定だそうです。
時代が下って、「クレヨンしんちゃん」の連載が始まったのは平成2年。主人公5歳の幼稚園児しんのすけが両親のひろしとみさえと春日部に住んでいます。ひろしはそこから霞ヶ関まで長距離通勤です。ひろしの父母は秋田県、みさえの父母は熊本県に住んでいるためしんちゃん一家は核家族です。連載の途中で妹のひまわりが誕生するものの、しんちゃんの幼稚園の仲間達にも、兄弟がたくさんいるようには思われません。
それからさらに約20年を経たこの平成21年。今を舞台にホームドラマを描こうとすれば、たぶん、老夫婦2人にいつまでも自立できない30歳代の息子や娘の物語とか、都会の片隅でひっそり暮らす老いた母のもとに、派遣切りにあって帰ってくる40歳代の息子の話とかになるのでしょうか?はたまた、年収200万円以下のほとんどワーキングプア状態にいるひとり親家庭で、母の帰りをひとりぽつんと待つ幼い男の子の物語でしょうか?
昭和32年に始まったNHKの長寿番組「きょうの料理」も「目安となる材料の量」を今年の3月30日放送回から、4人分から2人分に切り替えるそうです。
そう、もはや言い尽くされたとおり、この平成の日本は、非婚化・晩婚化が進んだ少子超高齢社会で、さらに離婚率の増加によるひとり親家庭など、核家族がひしめく時代になっているのです。そして、そのぽつねんとした家族たちを取り巻く地域社会は、生活保護を打ち切られ、餓死しても、何か月も遺体が発見されない、希薄な環境として存在しているのです。
「コミュニティ」などは、程度の低い厚労省の役人が書く作文の中にだけ存在するにすぎません。

昨今の新聞記事には、家族が巻き込まれる目を覆いたくなる事件が多すぎます。昨年、平成20年の新聞データをざっと見ても、
①42歳の男性が両親と妻の胸や腹を刺して死亡させ、小学2年の長男と幼稚園児の二男も重傷を負うという事件が起きた。寝ているところを襲い、男性自身も自殺を図っている。家族経営の製本会社がうまくいかなくなった末の凶行で、大黒柱だった男性は、明るくまじめな性格で、町内会の活動もがんばっていたという。(東京都)
②40歳の母親が9歳の長男の首を絞めて殺し、自身も睡眠薬や解熱剤を大量に服用して自殺を図った。子育てや暮らしがままならないことに絶望しての無理心中だった。(千葉県)
③6歳の女児が母親(29歳)と同居していた男性(21歳)に暴行されて死亡した。(大阪府)
④39歳の会社員男性が16歳の息子を殴って死なせた。都内の私立高校を退学した息子は無職で、生活態度をめぐってもめていた。5人家族だった。(川崎市)
⑤空調会社を経営している男性(53歳)が家族を斬り殺す事件があった。妻は刃物で切られたうえネクタイを首に巻かれた状態で、中学3年の次女も刃物で切られて死亡した。(宮城県)
⑥会社員男性(31歳)が1歳児の息子に暴行を加えて意識不明の重体にする事件があった。(埼玉県)
親が子を殺し、子が親を殺す。社会の荒波から、本来、防波堤となるべき家族・家庭が牙をむきだし、悲劇の舞台となっています。町の片隅で核家族化し、あるいは形態的には大家族を保っていても、精神的には孤立して、「砂粒」のようになった人々の悲鳴が聞こえてきそうです。父親は食わんがための経済活動に忙しくて、時間的にも精神的にも余裕はなく、母子は二人きりで地域社会からも孤立した空間で、密着した時間を過ごしています。一昔前は、そういう母子関係から生じる病理は「母原病」などと指摘されたものですが、昨今の100年に1度などと言われる経済不況で、父親はますます追い詰められ家庭での「父親不在」状態は固定化し、母子の窮屈な人間関係がますます形成されてゆくように思われます。一方、お年寄りたちは、「生活」に追われる子供世代を見て、迷惑をかけまいとひっそり老夫婦で寄り添い、片方に先立たれた後は、一人でほそぼそと暮らしている情景が目に浮かんできます。
「サザエさん」には、ノリスケおじさんという緩衝材のような人がいました。サザエさん一家に若干、違った視点や雰囲気を持ち込む存在です。渥美清が主演して国民的ヒットとなった「男はつらいよ」では、吉岡秀隆演じる甥の満男には、まさしく「寅さん」がそういう存在でした。両親が離婚した傷心のガールフレンド泉(後藤久美子)に会うために予備校をさぼって九州までバイクで会いに行った満男を、世間の常識で両親は非難しますが、そんな満男を寅さんは庇います。
「お前たち、満男を一人前の男とみてやらないといけないぜ」
一昔前は、家族の中にも、近所にもそういう、違った意見を言ってくれる人がいたものです。燃えたぎり、煮えたぎり、カチカチになった家族の人間関係をふっとほぐしてくれる存在がいたものです。それが、家族の中からも、地域社会の中からも消えてしまったところに、言うなれば自動車のハンドルの「遊び」のようなものが少ない人間関係が出来上がってしまっているのだと思われます。家族に、逃げ場がないのです。ですから、家族の形態が小さいだけ密接、密着していた分、何もことがなく順調な時には、近所もうらやむような親子兄弟が、いったん、夫のリストラなどの経済危機や、子どもの受験の失敗、学校でのいじめ、夫婦間の行き違いといったことが起こり、自分たちでの解決に失敗するともはや、もっていき場を失って、暴走するケースも多々あるように思えます。家族の構成員の内で誰かが立ち止まり、冷静になればすむものを、どんどん、どんどん小集団が各自の感情をむき出しに爆発させながら、加速度的に追い詰められていくのだと思います。
そういったエネルギーが、家族に向かない場合は、自分自身に向かいます。「自殺対策白書」によりますと、2007年の自殺者は過去2番目の多さで、これで10年連続して自殺者は3万人を超えたということです。
追い詰められ我慢の限界を超えた人々の悲鳴が、いたるところに満ち満ちているのが現代日本です。大恐慌に匹敵する不況下で、経済的にも、さらに追い詰められ、家族にも家庭にも安住できないばらばらな砂粒と化した個々人が、見えてきます。昨今の新興宗教の隆盛、占い・スピリッアルブームも、ここに起因するように思われます。
1945年の終戦後、敗戦国日本は、経済復興こそが幸せになる途と信じてずっと努力を重ねてきました。アメリカからもたらされるものを受け入れ、日本的なものを投げすてあるいは変質させて、今の日本を築き上げてきました。その先頭に立って頑張ってこられたのがおそらく「団塊の世代」の方々でしょう。現在の「こころ寂しい」社会の原因にはいろいろなものが複合的に影響を与えているのでしょうが、一貫して経済効率一辺倒でやってきた社会の一つの帰結点がここにあるように、私には思えてなりません。



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