大阪市天王寺駅、阿倍野橋駅の司法書士 榊原秀剛司法書士/社会福祉士事務所 > ブログ > このたびの震災によせて~少しでもお心が穏やかになられますように~

このたびの震災によせて~少しでもお心が穏やかになられますように~


未曾有の災害に遭遇され、ご家族も財産もその他地縁、血縁も何もかも失われ、明日のことなど何も考えられず、ただただ避難所で過ごされている多くの方々に、何を申しあげればいいのか、本当に困ってしまいます。営々と築きあげてこられたものを一瞬にして失われ、「ひとりぼっち」になってしまわれた方も多くいらっしゃり、何をする気力も出てこないというのが本当のところでしょう。

でも、冷徹なところ、それでも、生きてゆかねばならないのが人生なのでしょう。

 

私は、成年後見人として、これまでに多くのお年寄りや障がいをもった方々のお世話をしてきました。戦後の高度成長を支え、豊かな日本を実現してきた多くの方々が今、年老いて、財産の多寡や親族の有無にかかわらず、「ひとりぼっち」の状態になってしまい、「自分はいったい何のために生きてきたのであろうか?」などと懐疑的になり、自分の人生を否定的にとらえて鬱々と過ごされている方も多く見受けられます。そんな人びとに対して、いかにして寄り添い、お心を少しでも穏やかにしていただけるかを考えて参りました。

司法書士ではそういった身上監護面では、資格としての限界を知り、社会福祉士を取得しそして今年、精神保健福祉士にも合格いたしましたが、その実習等の「学び」の中で、出会った一冊の本があります。今回、大震災に遭われた方々に、この本をご紹介させていただくことで私からのメッセージとさせていただきます。

その本とは、

「それでも人生にイエスと言う」 V・Eフランクル著  春秋社刊

です。

フランクルは、第二次世界大戦下、ナチスによって強制収容所に送られ、妻を始め多くの家族を失った精神科医です。収容所での体験を綴った「夜と霧」は、全世界で1,000万部以上の売り上げを誇る大ベストセラーとなりましたから、こちらの方で知っておられる方が多いかもしれません。

フランクルは、「ロゴセラピー」という精神療法を創始しますが、そこでは「生きる意味」を重視します。彼は、統計的手法に基づいた科学的調査の上、「人間はそのために生きる『何か』を必要とする存在である」と、人間を捉えます。それを欠き精神的な葛藤が生じるなかで心の病もつくりだされる場合があるとするのです。

ただ、ここで、注意していただきたいのは、この「何か」は、日本の戦後教育が誤った「個人主義」の中でつくりだしてきたエゴを助長するに過ぎない「自己実現」から導き出されるものではないということです。「世界でただひとつだけの花」とか、「かけがえのない自分」とかよく世間で言われているものは、確かにある意味ではそのとおりですが、そこでは、何かどこかに「自分」という永遠不滅の変わらない存在があり、その「自分」を伸長して生きるのが「自己実現」であり、自分を取り巻く外界世界も自己実現の単なる道具とみなしてきた変な風潮があります。

フランクルは、それとは逆に「われわれは人生から何を期待できるか」という自己中心的な人生観から180度コペルニクス的に転回して「人生は何をわれわれから期待しているか」という観点に変更されなければならないとします。

人生も自分自身をとりまく環境も刻々と変化してとどまるところを知りません。そんな中で人生から何かを期待でき「自己実現」できる人というのはごく限られた人でしょう。たまたま親や親族に財力があり健康にも恵まれ、いい大学に合格でき、難しい資格試験等に若くして合格できた人や、自己顕示欲や蓄財に並々ならぬ情熱を持ち続け、それを許す環境の中にいた「勝ち組」と称されるごくわずかな人達です。

私が、精神保健福祉士の実習先でお世話になった病院で出会った、アルコール依存症の方々の中には、完治しない病ゆえに、仕事、家族、財産、健康さえも失った多くの方々がいらっしゃいました。また、私の担当してきた高齢者の中には、懸命に生きてきたにもかかわらず誰が訪れることなく、失意の中、不自由な四肢で、一日中、病院のベッドで過ごす方もおられました。そういう、「生きづらさ」を感じておられる方々に、「自己実現的な」人生の意味を見出していただくのは全く酷な話しです。

フランクルは、この「人生は何をわれわれから期待しているか」という視点から、人生の価値を「創造的価値」、「体験価値」、「態度価値」に分類しています。人生は、その人その人によって、瞬間、瞬間、さまざまな問いかけをしてきます。われわれはそれに対してさまざまに応えなければなりません。フランクルの言う3つの価値についての詳しいところは、省略させていただきますが、人生のどんな局面においても人生はわれわれに期待するものがあり、そこに価値を見いだせるのだということを、「態度価値」を説明した次のエピソードから見てとることができます。

(なお、これまでのフランクルに関する私の説明は、私の主観が多分に混じったものです。少しでもお心が落ち着かれましたなら、是非、ご一読をお勧めいたします。)

 

或る悪性の脊髄腫瘍を患った男性は、死ぬ直前にフランクルにこう語ったという。「午前

の病院長の回診のときに聞いて知ったのだが、G教授が、死ぬ直前の苦痛を和らげるため、死ぬ数時間前に私にモルヒネを注射するように指示したんです。だから、今夜で私は「おしまい」だと思う。それで、いまのうちに、この回診の際に注射を済ましておいてください。そうすればあなたも宿直の看護婦に呼ばれてわざわざ私のために安眠を妨げられずにすむでしょうから」。もはや変えることのできない運命に対して、この人がとった「態度」についてフランクルは次のように述べている。「この人は人生の最後の数時間でもまだ、まわりの人を『妨げ』ずにいたわろうと気を配っていたのです。どんなつらさにもどんな苦痛にも耐えた勇気はともかくとして、こういうさりげない言葉、このようにまわりのことを思いやる気持ちを見てください。まぎれもなく死ぬ数時間前のことです。ここにすばらしい業績があります。職業上の業績ではないにしても、人間らしい無比の業績があります。」~「それでも人生にイエスと言う」春秋社刊 196ページ12行から197ページ5行まで抜粋~

 

私事で恐縮ですが、私は、私の無明から、家庭を失い、最愛の子どもたちとも会えない毎日を送っています。私のエゴからくる自己実現では、優しい妻とかわいい子どもに囲まれて楽しい家庭生活を送るつもりでしたが、現実は、全く逆になっています。夫婦が別れるのは、お互い人格的にお粗末ゆえに致し方ないところですが、かわいそうなのは子どもです。日本では、性格の不一致の様に、どちらか一方に明らかな離婚原因となる有責性が存在しない場合でも、子どもが小さい時は、決まって母親が親権者となり、父親は養育に対して全く蚊帳の外に置かれます。こういう離婚後の単独親権制をとる国は先進国では日本とロシアだけです。欧米諸国では離婚後も共同親権が当たり前のことです。

人生が私に与えた課題として、私の場合は、「共同親権運動」に取り組んでいます。



コメントをどうぞ

Spam Protection by WP-SpamFree

▲ページの先頭へ戻るa

Category カテゴリー