実例紹介

債務整理

 私の事務所では、簡裁代理権取得前の平成13年頃から、破産申立書作成などにより、多重債務の 問題に取り組んできました。今と違って、最高裁で債務者側に決定的に有利な判決が出る前のことですから、それこそ、こつこつと積み重ね、それでも間違いな く延べ900人以上、債権者数にして4000社以上の債務整理をしてきました。依頼者の方々の債務整理を無事させていただき、同じ数の笑顔に接してこられ たことは、私にとって大きな喜びです。

 私は、初回相談がとても大切であると思っています。そこで、債務者の方に実際にお越しいただき、専用の面談室で時間制限なくじっくり、お話しをお伺いし ています。債務整理に限らず、相談業務というものは、依頼者に寄り添い、傾聴するのが基本だと考えているからです。壁にはルノアールの複製画をかけ、ク ラッシックのBGMで、落ち着いた雰囲気を出せる様、努めています。
 債務の内容(債権者名、債務額、借り入れ時期、月々の返済額など)、家計収支、借り入れ理由などを詳細に聞き取り、どのような方針でいくかおおよその検 討をつけますが、最終的な判断は、依頼者の希望も考慮したうえで、債権者各社の取引履歴を取り寄せて利息制限法に基づいて再計算し、払い過ぎた利息を元本 に充当して元本を圧縮し、債務額を確定してからのことになります。もっとも、新貸金業法の施行により、初めから利息制限法以下の金利で貸し出しをしている ケースも増えてきましたので、こういう一連の作業を必要としなくなる日も遠からず訪れることでしょう。

 新貸金業法の施行により、総量規制で制限を受けた方や配偶者に隠して借入をしてきた方からのご相談が見受けられるようになりました。総量規制にか かった方のお話しによると、貸金業者から収入のわかる書類をもって店頭に来るように言われ、その通りにすると、新しい契約書を取り交わして、それ以降は、 一切の新規借入ができなくなったとのことでした。他社を含めて、借りては返しの自転車操業でしたが、一回の遅滞もなくキチンキチンと返してきたので、全く 借りられないとわかった時には、茫然としてしまったということでした。
 また、借入ができなくなったので困っていると、家のポストに携帯番号を記したヤミ金融業者のチラシが投げ込まれていて、ついつい借りてしまって、ひどい取り立てに怯え、事務所を訪れる方もいらっしゃいます。
 さらに、生活保護を受給する前提として、債務整理の相談にみえる方も多く見受けられます。生活保護費を借金の返済に充てるわけにはいきませんので、その ための債務整理ですが、法テラスの民事法律扶助を利用し、さらに、償還免除の申請をして、法テラスに立て替えてもらった費用も返さなくてもいいようにし て、依頼者の経済的負担にならないよう努めています。

 過払い金返還もピークをとうに過ぎ、新貸金業法の施行により引き直し計算も徐々にできなくなって債務額の圧 縮もままならなくなり、経営体力が軒並み低下した貸金業者相手にする任意整理の交渉は、今後、難しいものになってゆくことが予想されます。実際、任意交渉 を行うと、分割弁済に一切応じず、一括弁済を要求してくる業者とか、将来利息を要求してくる業者が増えてきています。その結果、自己破産、個人民事再生と いった法的整理が今後は、増加するものと思われます。
 

過払い金返還は早いもの勝ち!?

 平成18年1月に債務者側に圧倒的に有利な最高裁の判例が出て以来、「過払い金返還」はすっかり有名になりました。それ以前は、貸金業者の主張を封じ込め、いかに元本を圧縮するか本当に苦労したものです。

いまでは、滞納された税金を回収するために、自治体が滞納者に代わって、貸金業者に請求する時代です。 

 しかし、過払い金返還も峠を越えた感があります。判例が出て返還が容易になってからは、多くの弁護士や司法書士が過払い金返還業務に津波をうって 乗り出し、結果、多重債務者を救済するための判例で一番得をしたのが、一部不心得な法律職であったという皮肉な状況も指摘されています。

 反面、貸金業者は、新しい貸金業法の施行もあって中小は言うに及ばず大手でさえ、経営の危機が経済誌などでも報じられる状態となりました。
 以前は任意交渉でも元本全額を確保できた業者が、数カ月のちには70%となり、やがてそれが50%を切り、8カ月、いや1年先と、だんだん厳しくなってゆきます。そうして消滅していった会社が過去、いくつあったことでしょう。
 過払い金返還はいよいよ、終盤にさしかかった感を強くもつ今日この頃です。

法定後見申立て

 遠く離れた他県に住む娘さんの依頼で、私は、一緒にBさん宅をたずねました。郊外にひろがる 「ニュータウン」は、40年近く前にひらかれたときは、若い新婚夫婦と子供たちで活気にあふれていましたが、ここも例外なく高齢化の波が押し寄せ、お年寄 りだけの世帯が大半をしめるようになっていました。

 部屋の中は、毎日、来てもらっているヘルパーさんのおかげで、すっきりかたづけられていました。ご本人も、にこやかに出迎えてくださいました。しかし、 キッチンのテーブルの上に置かれた、一人では食べきれないほどのバケツいっぱいの黄色いみかんや、流し台の足元に並んでいるいくつかの真っ赤な消火器や奥 座敷に積まれた高級そうな布団が、異様な印象を与えていました。
「本当にひどい事をするじゃないですか。いろんな人が売りつけにくるんですよ。私がなかなか来てあげられないから・・・」と娘さんは寂しそうに話しました。
私は、成年後見制度の概要と、今回、しようとしているのは、すでに認知症の症状があらわれた方を対象とする法定後見の申立てである旨を説明しました。法定 後見の申立ては原則、4親等内の親族からしなければなりません。そこで、娘さんの協力を取り付け、おおよそのかかる費用もお伝えしました。そして、ご本人 の状態を知るため、娘さんをとおして、診断書の作成を主治医の先生に依頼しました。この診断書は家庭裁判所所定の用紙を用い、成年後見申立て時にはその添 付書類として利用することになります。 
  

 2週間ほどして、娘さんから、主治医の診断書が取れた旨の連絡が入りました。診断書には、「認知症」の文字と「自己の財産を管理・処分することができない」旨の記述がありました。
私は、法定後見の3態様のうち「後見」であると判断しました。申立て書作成のため、必要な情報を収集するために、ケアマネージャーさんをはじめとして福祉関係の方々との面談を行いました。ご本人とも再び会い、会話を試みました。
後見人に誰になってもらえるか、娘さんを通じて何人かにあたってもらい、また、必要に応じて私も説明を行いましたが、結局、後見人に就任してもらえそうな人は見当たらず、私が、後見人候補者となることになりました。
 戸籍謄本や本人の財産関係の書類などなど、申立に必要な書類を集め、管轄の家庭裁判所に申立て書を提出しました。
 約2カ月後、私を成年後見人とする審判が出され、2週間の確定を待って、私の成年後見人としての活動が始まりました。 
 
(事実に基づいていますがフィクションです)

遺言・死後事務契約・成年後見

 人の死に直面すると、いつも、この世の無常を感じずにはいられません。つい、4日前、お会いした時は、いつものように、出していただいたお茶とお饅頭をいただきながら、世間話に興じていましたのに・・・

  確かに90歳をまわっておられたので、いつ、こういう日がきてもおかしくはありませんでしたが、とにかくしっかりした方でしたので、亡くなったという現実に直面した時には、私はにわかには信じられませんでした。
  今、Aさんは、私の胸に抱かれた小さな骨壷の中で、納骨の順番を待っています。4日前の優しい笑顔が、私の脳裏によみがえり、冬の日差しははや、本堂をオレンジの暮色に染めてゆきます。 
 お歳にも関わらず、Aさんは介護保険では要支援1でした。介護保険で施設に入所できる費用が出るのは要介護以上ですので、Aさんはヘルパーさんの手助けを借りながらりっぱにご自宅で暮らされていました。
私は、それでも、自費を使ってでも自立型の施設に入所された方が安全だと思い、何度か、お勧めはしてきましたが、ご本人の意思は固く、自宅でがんばれるまでは暮らしたいということでしたので、在宅での生活を支援してきました。
ヘルパーさんから、ご様子が変なので、救急車で病院へ搬送したという知らせを受けたのが3日前、私が、病院に急行したときは、すでに亡くなっておられました。苦しまれることのない安らかなお顔でした。 
 
 それからというもの、かねてからお聞きしていたご希望どおり、「死後事務契約」に則って、まず、葬儀社と菩提寺に連絡。ご遺体を、通夜と葬儀の行なわれ る会場に送り出してから、生前お聞きしていた、知らせて欲しいご親族、知人、友人に、私の事務所の者全員で手分けして電話連絡をし、通夜・葬儀の日取り、 会場をお知らせしました。反面、絶対に知らせて欲しくない人には、たとえ親族であっても、葬儀には呼びません。
 わけあって、ずっと独身を通され、親族ともあまり行き来のなかったAさんでしたので、ほとんど会ったこともない甥御さんや姪御さんに亡くなった後の面倒 をかけるわけにはいかないということで、私との間で、「死後事務契約」を結んでいただいておりました。町内会の方々のご協力も得ながら、私が喪主となっ て、通夜、葬儀、初七日とつつがなく終わり、骨あげにも立ち会って、荼毘にふされて真っ白になったお骨もひろわせていただきました。
 納骨の受付を終え、読経をしてもらうため、本堂の中に通されます。ご本尊の優しいお顔がAさんのお顔とだぶって見えます。寂しさは、葬儀の終わったこの 頃から実感として襲ってくるのが常ですが、まだまだ、Aさんとの約束は続きます。「死後事務契約」に則り、家財道具の処分と借りていたアパートをきれいに して大家さんに返し、さらに、いろいろと残った支払い(病院の費用、家賃の精算、最後の公共料金の精算などなど)を済ませ、書いていただいていた遺言に そって、ご希望どおりの方に財産を渡さなければなりません。私は、遺言の中で、遺言の内容を実現する遺言執行人にもなるよう依頼されているのです。まだま だ、感傷に浸っている暇はないのです。

 Aさんとの付き合いは4年半に及びました。始まりは、Aさんが、私の事務所に電話を架けてこられたことからでした。Aさんはその時、以前、懇意に していた元銀行員が、毎日、押し付ける「親切」に困り果てていたのでした。その元銀行員は、約15年前、Aさんと取引のあった近所の銀行の窓口に座ってい た女性で、その時は、とても、Aさんに親切だったということです。結婚退職して、Aさんもその元行員のことは忘れていたのですが、つい、1ヶ月前、偶然、 駅前でばったり会ったそうです。ちょうど、銀行にお金をおろしに行くところだったので、足の悪いAさんは、つい、気軽に、その元行員について来てもらっ て、手伝ってもらいました。その日は、礼を言って、別れたのですが、翌日の午後、玄関で、訪ねる人がいるので、ドアを開くとなんと、その元行員が立ってい ました。その翌日から、朝は9時30分から午後は3時ごろまで毎日やってきては、ちょっとした掃除や買物までやってくれるというのです。初めはありがたい その「親切」に手をあわせていたAさんですが、そのうち、夫がリストラにあったとか、子供が中学生でとてもお金がかかるとか言い始めたので怖くなり、ヘル パーさんとも相談のうえ、私の事務所に電話を架けてこられたということでした。私はAさんと同じ区に事務所を構えていましたので、そのご縁でのご相談でし た。その元行員と鉢合わせにならないように注意してAさんと面談し、翌日、財産保全のため簡単な任意代理契約をまず私文書で結び、その元行員と対峙しまし た。 
 司法書士であり、Aさんの依頼を受けて全ての財産を預ったこと、実質上は、今後は私の判断がなければ、大きなお金は動かないこと、好意は大変ありがたい が、掃除や買物はヘルパーさんに今後はしてもらうつもりだということを、できるだけ失礼にならないように説明しました。その元行員はその日以来、ぷっつり 姿を見せなくなりました。
本来、任意代理契約はご本人のご希望を聞いたうえで、公正証書でつくるものです。ですから私はその後、任意代理契約と将来、お心が不確かになられたときに 備える任意後見契約を公正証書で改めて作り直しました。足のあまり強くないAさんのために公証人にはご自宅まで出張してもらいました。
 それから4年と数ヶ月、1ヶ月に1度は必ず、Aさんのご自宅を訪問し、不自由はないかを確認させていただいてきました。といえば、聞こえはいいのです が、実際は、Aさんに戦前の大阪の様子や、暮らしや風俗、習慣といったもはや、誰もが忘れてしまったようなことや、時には、私のプライベートな悩みにまで 答えていただいて、どちらがお世話されているのかわからないような、でも、私にとっては、決して忘れられない思い出となってゆきました。
 
 
 僧侶の読経も終わり、すっかり薄暗くなった納骨堂に、Aさんのお骨を納めました。いっしょに納骨に立ち会ってくれた事務員ともども、私は、合掌し、深く頭を垂れました。
 

(事実に基づいていますがフィクションです)