事務所だより

このたびの震災によせて~少しでもお心が穏やかになられますように~

2011年3月27日 日曜日

 未曾有の災害に遭遇され、ご家族も財産もその他地縁、血縁も何もかも失われ、明日のことなど何も考えられず、ただただ避難所で過ごされている多くの方々に、何を申しあげればいいのか、本当に困ってしまいます。営々と築きあげてこられたものを一瞬にして失われ、「ひとりぼっち」になってしまわれた方も多くいらっしゃり、何をする気力も出てこないというのが本当のところでしょう。

 でも、冷徹なところ、それでも、生きてゆかねばならないのが人生なのでしょう。

 

 私は、成年後見人として、これまでに多くのお年寄りや障がいをもった方々のお世話をしてきました。戦後の高度成長を支え、豊かな日本を実現してきた多くの方々が今、年老いて、財産の多寡や親族の有無にかかわらず、「ひとりぼっち」の状態になってしまい、「自分はいったい何のために生きてきたのであろうか?」などと懐疑的になり、自分の人生を否定的にとらえて鬱々と過ごされている方も多く見受けられます。そんな人びとに対して、いかにして寄り添い、お心を少しでも穏やかにしていただけるかを考えて参りました。

 司法書士ではそういった身上監護面では、資格としての限界を知り、社会福祉士を取得しそして今年、精神保健福祉士にも合格いたしましたが、その実習等の「学び」の中で、出会った一冊の本があります。今回、大震災に遭われた方々に、この本をご紹介させていただくことで私からのメッセージとさせていただきます。

 その本とは、

 「それでも人生にイエスと言う」 VEフランクル著  春秋社刊

 です。

フランクルは、第二次世界大戦下、ナチスによって強制収容所に送られ、妻を始め多くの家族を失った精神科医です。収容所での体験を綴った「夜と霧」は、全世界で1,000万部以上の売り上げを誇る大ベストセラーとなりましたから、こちらの方で知っておられる方が多いかもしれません。

フランクルは、「ロゴセラピー」という精神療法を創始しますが、そこでは「生きる意味」を重視します。彼は、統計的手法に基づいた科学的調査の上、「人間はそのために生きる『何か』を必要とする存在である」と、人間を捉えます。それを欠き精神的な葛藤が生じるなかで心の病もつくりだされる場合があるとするのです。

ただ、ここで、注意していただきたいのは、この「何か」は、日本の戦後教育が誤った「個人主義」の中でつくりだしてきたエゴを助長するに過ぎない「自己実現」から導き出されるものではないということです。「世界でただひとつだけの花」とか、「かけがえのない自分」とかよく世間で言われているものは、確かにある意味ではそのとおりですが、そこでは、何かどこかに「自分」という永遠不滅の変わらない存在があり、その「自分」を伸長して生きるのが「自己実現」であり、自分を取り巻く外界世界も自己実現の単なる道具とみなしてきた変な風潮があります。

フランクルは、それとは逆に「われわれは人生から何を期待できるか」という自己中心的な人生観から180度コペルニクス的に転回して「人生は何をわれわれから期待しているか」という観点に変更されなければならないとします。

人生も自分自身をとりまく環境も刻々と変化してとどまるところを知りません。そんな中で人生から何かを期待でき「自己実現」できる人というのはごく限られた人でしょう。たまたま親や親族に財力があり健康にも恵まれ、いい大学に合格でき、難しい資格試験等に若くして合格できた人や、自己顕示欲や蓄財に並々ならぬ情熱を持ち続け、それを許す環境の中にいた「勝ち組」と称されるごくわずかな人達です。

私が、精神保健福祉士の実習先でお世話になった病院で出会った、アルコール依存症の方々の中には、完治しない病ゆえに、仕事、家族、財産、健康さえも失った多くの方々がいらっしゃいました。また、私の担当してきた高齢者の中には、懸命に生きてきたにもかかわらず誰が訪れることなく、失意の中、不自由な四肢で、一日中、病院のベッドで過ごす方もおられました。そういう、「生きづらさ」を感じておられる方々に、「自己実現的な」人生の意味を見出していただくのは全く酷な話しです。

フランクルは、この「人生は何をわれわれから期待しているか」という視点から、人生の価値を「創造的価値」、「体験価値」、「態度価値」に分類しています。人生は、その人その人によって、瞬間、瞬間、さまざまな問いかけをしてきます。われわれはそれに対してさまざまに応えなければなりません。フランクルの言う3つの価値についての詳しいところは、省略させていただきますが、人生のどんな局面においても人生はわれわれに期待するものがあり、そこに価値を見いだせるのだということを、「態度価値」を説明した次のエピソードから見てとることができます。

(なお、これまでのフランクルに関する私の説明は、私の主観が多分に混じったものです。少しでもお心が落ち着かれましたなら、是非、ご一読をお勧めいたします。)

 

或る悪性の脊髄腫瘍を患った男性は、死ぬ直前にフランクルにこう語ったという。「午前

の病院長の回診のときに聞いて知ったのだが、G教授が、死ぬ直前の苦痛を和らげるため、死ぬ数時間前に私にモルヒネを注射するように指示したんです。だから、今夜で私は「おしまい」だと思う。それで、いまのうちに、この回診の際に注射を済ましておいてください。そうすればあなたも宿直の看護婦に呼ばれてわざわざ私のために安眠を妨げられずにすむでしょうから」。もはや変えることのできない運命に対して、この人がとった「態度」についてフランクルは次のように述べている。「この人は人生の最後の数時間でもまだ、まわりの人を『妨げ』ずにいたわろうと気を配っていたのです。どんなつらさにもどんな苦痛にも耐えた勇気はともかくとして、こういうさりげない言葉、このようにまわりのことを思いやる気持ちを見てください。まぎれもなく死ぬ数時間前のことです。ここにすばらしい業績があります。職業上の業績ではないにしても、人間らしい無比の業績があります。」~「それでも人生にイエスと言う」春秋社刊 196ページ12行から197ページ5行まで抜粋~

 

 私事で恐縮ですが、私は、私の無明から、家庭を失い、最愛の子どもたちとも会えない毎日を送っています。私のエゴからくる自己実現では、優しい妻とかわいい子どもに囲まれて楽しい家庭生活を送るつもりでしたが、現実は、全く逆になっています。夫婦が別れるのは、お互い人格的にお粗末ゆえに致し方ないところですが、かわいそうなのは子どもです。日本では、性格の不一致の様に、どちらか一方に明らかな離婚原因となる有責性が存在しない場合でも、子どもが小さい時は、決まって母親が親権者となり、父親は養育に対して全く蚊帳の外に置かれます。こういう離婚後の単独親権制をとる国は先進国では日本とロシアだけです。欧米諸国では離婚後も共同親権が当たり前のことです。

 人生が私に与えた課題として、私の場合は、「共同親権運動」に取り組んでいます。

東北地方太平洋沖地震の被災者の方々へ

2011年3月12日 土曜日

 このたびの災厄に対し、被害の甚大さを思います時、おかけする言葉にも困ってしまいます。

なにとぞ、なんとかお力をお出しになって、立ち上がって下さいますよう心からお祈り申し上げます。

わたくしどもも、微力ながらできますることを考えながら、お役に立てればと願っております。同時代を生きる者として、限りなき共感を胸に、皆様のおこころが少しで穏やかになられますよう、心から願っております。

 

榊原秀剛 司法書士/社会福祉士事務所

ハーグ条約

2011年2月13日 日曜日

 国際結婚が増えると、その当然の帰結として国際離婚も増える。国際離婚に際して、子どもを実力行使して連れ去った一方の親が得をするという無秩序な状態を是正するために作られた多国間条約である。正式名称を「国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約」と言う。1980年にハーグの国際司法会議で採択されている。

 この条約は、片方の親が、子どもを同意なく国境を越えて連れ去った場合に、親権や監護権をもつもう一方の親が子どもの返還を申し立てると、その子どもをすぐに元住んでいた国に返還することを基本原則とするものである。離婚しても父母の共同親権が当たり前の欧米では、離婚した日本人元妻が、子どもを連れて無断で日本に帰ってくることは、父親と父親の国にとってはりっぱな「拉致」に該当し、逮捕状が出され国際手配されたりする。実際、2010年9月には、アメリカ下院で、子どもの連れ去りは「拉致」であるとして日本を非難する決議を行っているし、今年に入っても1月には、フランス上院が早期批准を促す決議を行っている。

 主要国のなかで日本は、ロシアとともに、未だ、加盟していない。

 

 この、子どもの「拉致」問題は、実は、日本国内においてこそ、はなはだしい。日本は、先進国と称される国の中で、未だに、離婚後の単独親権制をとるもの珍しい国である。ダスティン・ホフマンが親権を取れなかった父親の悲しさを演じた映画「クレイマー・クレイマー」から30年以上、アメリカは現在既に、離婚後も共同親権の国になっているし、西欧・北欧では当たり前のことである。

 エゴを収めることができず、角突き合わせて男女が分かれるのは勝手だが、子どもの預かり知らぬところで勝手に片方の親(家裁のやる気のないステレオタイプの調停・審判等により親権者は85%以上、母親になるので子どもにとって失われるのは父親)を失ってしまう子どもは、たまったものではない。面会交流も、多くて月に1回、数時間。やっと得たその面会交流も、監護親の気分次第で踏みにじられ、裁判所に履行勧告を求めても全く実効性なしで、子どもは、「拉致」されたままどんどん時間だけが過ぎ去って行き、子どもは養育親に刷り込まれて大きくなる結果、父親をまるでエイリアンに対するかのような感情を抱いて成長してしまう。

 これは、今までに私が受けた多くの離婚相談からの抽出だが、私自身の体験から考えても、実際、現状は、そうなのである。

 

 私は、成年後見人として、多くのお年寄りのお世話をしてきたが、昭和30年代に離婚されて親権を取れず、子どもと生き別れになってしまったお年寄りを、数ケース見てきた。この時代は、「拉致被害者」は元妻である母が多い。家制度の名残か、子どもは、特に男児は跡取りとして夫の「家」に残し、妻を追い出すという場合がほとんどである。ひどいケースでは、妻が病気で入院したことを奇禍として、まさしく追い出して離婚し、経済力のある夫が親権を握って、愛人とすぐに再婚していたケースもあった。そういう「拉致被害者」のひとりである年老いてしまった母が、もう、回復しない病に罹った時に一目、息子に会いたいという願いを私に託されたことがあった。私は、苦労して親子の対面にこぎつけたが、既に40歳を超えていたその息子からは、ついぞ、病に苦しむ実母をいたわる言葉も、「おかあさん」という呼びかけもなかった。父と継母から、実母は「人格破綻」の変な人と教え込まれて大きくなったとのことだった。私は、約5年間、この実母の、任意代理人をしていたが、「人格破綻」など思わせるものは、何一つなかったのだが・・・

 

 日本は、外圧でしか変われない国である。このハーグ条約の問題が、日本の常識が世界の非常識になっている状態を是正してくれることを期待している。日本も批准している世界の常識である「子どもの権利条約」でも、「児童が父母のいずれとも人的な関係および直接の接触を維持する権利」および「児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有する原則」が謳われている。

離婚後の共同親権が世界の常識なのである。これを原則としたうえで、DV等の特殊事案は、欧米を参考に制度的に担保すればすむ話しである。圧倒的に多い、DVのない「性格の不一致」などを理由とする離婚で一方の親を奪われる被害に遭う子どもを、一刻も早く救済しなければならないのだ。