ハーグ条約

2011年2月13日 日曜日

国際結婚が増えると、その当然の帰結として国際離婚も増える。国際離婚に際して、子どもを実力行使して連れ去った一方の親が得をするという無秩序な状態を是正するために作られた多国間条約である。正式名称を「国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約」と言う。1980年にハーグの国際司法会議で採択されている。

この条約は、片方の親が、子どもを同意なく国境を越えて連れ去った場合に、親権や監護権をもつもう一方の親が子どもの返還を申し立てると、その子どもをすぐに元住んでいた国に返還することを基本原則とするものである。離婚しても父母の共同親権が当たり前の欧米では、離婚した日本人元妻が、子どもを連れて無断で日本に帰ってくることは、父親と父親の国にとってはりっぱな「拉致」に該当し、逮捕状が出され国際手配されたりする。実際、2010年9月には、アメリカ下院で、子どもの連れ去りは「拉致」であるとして日本を非難する決議を行っているし、今年に入っても1月には、フランス上院が早期批准を促す決議を行っている。

主要国のなかで日本は、ロシアとともに、未だ、加盟していない。

 

この、子どもの「拉致」問題は、実は、日本国内においてこそ、はなはだしい。日本は、先進国と称される国の中で、未だに、離婚後の単独親権制をとるもの珍しい国である。ダスティン・ホフマンが親権を取れなかった父親の悲しさを演じた映画「クレイマー・クレイマー」から30年以上、アメリカは現在既に、離婚後も共同親権の国になっているし、西欧・北欧では当たり前のことである。

エゴを収めることができず、角突き合わせて男女が分かれるのは勝手だが、子どもの預かり知らぬところで勝手に片方の親(家裁のやる気のないステレオタイプの調停・審判等により親権者は85%以上、母親になるので子どもにとって失われるのは父親)を失ってしまう子どもは、たまったものではない。面会交流も、多くて月に1回、数時間。やっと得たその面会交流も、監護親の気分次第で踏みにじられ、裁判所に履行勧告を求めても全く実効性なしで、子どもは、「拉致」されたままどんどん時間だけが過ぎ去って行き、子どもは養育親に刷り込まれて大きくなる結果、父親をまるでエイリアンに対するかのような感情を抱いて成長してしまう。

これは、今までに私が受けた多くの離婚相談からの抽出だが、私自身の体験から考えても、実際、現状は、そうなのである。

 

私は、成年後見人として、多くのお年寄りのお世話をしてきたが、昭和30年代に離婚されて親権を取れず、子どもと生き別れになってしまったお年寄りを、数ケース見てきた。この時代は、「拉致被害者」は元妻である母が多い。家制度の名残か、子どもは、特に男児は跡取りとして夫の「家」に残し、妻を追い出すという場合がほとんどである。ひどいケースでは、妻が病気で入院したことを奇禍として、まさしく追い出して離婚し、経済力のある夫が親権を握って、愛人とすぐに再婚していたケースもあった。そういう「拉致被害者」のひとりである年老いてしまった母が、もう、回復しない病に罹った時に一目、息子に会いたいという願いを私に託されたことがあった。私は、苦労して親子の対面にこぎつけたが、既に40歳を超えていたその息子からは、ついぞ、病に苦しむ実母をいたわる言葉も、「おかあさん」という呼びかけもなかった。父と継母から、実母は「人格破綻」の変な人と教え込まれて大きくなったとのことだった。私は、約5年間、この実母の、任意代理人をしていたが、「人格破綻」など思わせるものは、何一つなかったのだが・・・

 

日本は、外圧でしか変われない国である。このハーグ条約の問題が、日本の常識が世界の非常識になっている状態を是正してくれることを期待している。日本も批准している世界の常識である「子どもの権利条約」でも、「児童が父母のいずれとも人的な関係および直接の接触を維持する権利」および「児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有する原則」が謳われている。

離婚後の共同親権が世界の常識なのである。これを原則としたうえで、DV等の特殊事案は、欧米を参考に制度的に担保すればすむ話しである。圧倒的に多い、DVのない「性格の不一致」などを理由とする離婚で一方の親を奪われる被害に遭う子どもを、一刻も早く救済しなければならないのだ。

社会的要因に左右される自殺

2010年9月6日 月曜日

わが国では1998(平成10)年、自殺者数が3万人を超えその後、現在に至るまでおおむね高止まりの状態を維持している。年齢別に見ると、40歳代、50歳代を中心とした中年層が大半を占めている。自殺の約8割が、鬱病に罹患しているという意見もある。
1. 中年の危機
① 一種の妄想
中年期は、青年期に選んだ自分自身の生き方、価値観、人生観、職業、配偶者、家庭、こうしたさまざまな対象との相互性のなかで身につけたアイデンティティを支えに、生きがいを見出して暮らしてきた人物が、はたしてこのまま年老いていってよいのだろうかと迷いを起こし、やがて、そうした迷いから、現実の外的な生活環境から目を内的な世界に向けて、こころのなかのさまざまな自分の可能性を問うようになる時期だという。この内的世界の方がもっとリアリティのある存在として体験され始めると、今まで青年期から築き上げ、積み重ねた外的なすべての自己とそれに関わるすべての存在が、現実感を失い遠い彼方の隔たったものに感じられてくるようになるらしい。(山田和夫氏 東洋英和女学院大学教授「精神保健学」)
私が20代の頃は、慶応大学教授で精神科医だった小此木啓吾氏が「モラトリアム人間の時代」(1978年)を著し、社会に出るのをいつまでもためらい、ポジションを決められずなかなか大人になれない若者の姿を描いていたが、時を経て30年も経つと、長いモラトリアムの末つかんだ現実をまた、迷いの対象としてあちらこちらと悩むことになるらしい。
私の世代もいつまでたっても悩みが尽きないようである。
② 喪の仕事
老年期において顕著になるいわゆる「喪の仕事(モーニング・ワーク)」にそろそろ取りかからなければならなくなる時期でもあるのが中年期である。
親やその他の親しい年長者の死に直面し、身体的にも無理が利かなくなって生活習慣病に悩むようになったりする。定年までの道筋が見えてきて、決して社長になることはない現実を知り、給与の上昇も止まる。男性も女性も、アンチエイジング対策に奔走するが、みなぎる活力もかつての肌の輝きも決して戻らない。手塩にかけて育てた最愛の息子は独立して母親は「空の巣症候群」におちいって張りを失い一日中、ため息で過ごすようになったりする。
前へ前へと走ってきた人生に、午後3時半ごろの黄昏の気配を感じ始めるのがちょうどこの時期である。
精神的な土壌に①の妄想がある人は、この黄昏感が増幅されて、転職、遁走、蒸発、離婚、そして時には自殺に走る場合もあることは十二分に考えられる。
③ 鬱病から自殺
黄昏に見る妄想に苛まれ、喪の仕事の延長線上にある自己の崩壊、つまり自分の死の気配も感じながら、鬱に陥る中高年が増えている。そして、鬱病の延長線上に自殺問題があるのだ。
日本の自殺者の特徴は完全失業率と強く相関している。警視庁の分析も40代、50代を中心とした中年層の経済的危機を1998(平成10)年以降の自殺者数の突然の増加原因の第一にあげている。たとえ上記①②で見てきたような心性が底に潜むとしても、自殺は社会的要因に大きく左右され、その点からも予防可能な問題であるのだ。
2. 自殺予防施策
国としては、自殺者の急増に対処するため、2006(平成18)年6月に自殺対策基本法を成立させ、同年10月の施行に併せ国立精神・神経センター精神保健研究所内に自殺予防総合対策センターを設置した。また、2007(平成19)年6月に内閣府は自殺総合対策大綱を発表し「自殺は追い込まれた末の死」であるという基本認識の上に立って「自殺は防ぐことができる」としたほか、「遺された人の苦痛を和らげる」必要性を示した。さらに同年、向こう3カ年の継続事業である「地域自殺対策推進事業」が興され、都道府県、市町村においても、地域住民のこころの健康の推進に向けた多部局横断的かつ公民協働での取組みが開始された。
3. 個人的対応
自殺は社会的な要因に左右される。実際、私は、司法書士として多重債務問題に約10年関わってきているが、自殺をほのめかす依頼者とも多く接してきた。日本経済が、後退し歴代の政権が弱者を切り捨ててきた結果である。
今にも消え入りそうな相談者には、とにかくじっくり腰を据えて、どんな福祉関係のテキストにも載っている基本であるが「傾聴」で対処している。借り入れた原因にたとえギャンブルや酒といった好ましからざるものが含まれていようと、無批判に聞き入れる。そして、やはり大切なのは「共感」であろう。それは、もちろん相手の行った行為をすべて是として認めるわけではなく、相手の立場に立った場合のつらい状況を理解することだと考えている。
こうして依頼者のつらい気持ちを理解したうえで、法律的に解決してゆく。債務がきちんと片付いた時、間違いなく死神の姿は遠くなり、お元気に社会生活にもどられている。まさしく、自殺は社会的な要因によるところも大きいと体験として、私は、理解している。

家族・地域社会の再生

2010年8月30日 月曜日

1. グローバリゼーションが地域経済に及ぼしたもの
世界史的に捉えると「グローバリゼーション」は、古く大航海時代に遡るそうであるが、今、頻繁に使われている「グローバリゼーション」は第二次世界大戦終結後に、アメリカ合衆国を筆頭に冷戦の西側諸国で多国籍企業が急成長し、現代に言う「グローバリゼーション」が始まったとされている。東西冷戦が終結すると、自由貿易圏が拡大し、工業製品はもとより、農業といった国民の命を守る産業さえもが世界規模での競争に駆り出され、世界の巨人たる多国籍企業が世界的規模で富を貪り、それに伴う国内産業の衰退と失業者や非正規雇用を世界的に生み出したという事態を招いた。
グローバリゼーションの負の側面である。
国際競争力の強化が、グローバル競争時代の市場にとって死活的課題であり、そのために生産性向上が不可欠となる。ところが、グローバル化の波に乗りおくれ、「市場の合理的選択」から取り残された地方では経済の衰退がもたらされた。
つまり、いわゆる新自由主義の浸透→国際競争の激化→雇用の不安定化→企業の海外移転→地域経済の衰退という悪循環を招いたのだ。  

2. 家族・地域社会の機能低下
昨今、新聞紙上を賑わしているように、家族の崩壊を表すような事件が後を絶たない。お年寄りは町の片隅に置き去りにされ、亡くなって白骨になってもリックサックに押し込まれ、年端もいかない子どもは育児放棄で餓死させられ、殺意をもって親の居る住居に火をつける子どもなど、家族のきずなが見えにくい社会になってしまっている。一方、地域で助け合わなければ生活できなかった農耕社会と違って、隣が何をしている人かを気にも留めずに暮らすことのできる地域社会となって既に久しい。
平成22年7月17日から18日にかけて行われた読売新聞の全国世論調査(全国の3000人の有権者を対象に面接方式。回収率60%)によると、「家族の絆やまとまりが弱くなってきている」と思っている人は81%、「地域住民の支え合いが弱くなってきている」と思う人は78%、「この先、一人暮らしになり、面倒をみてくれる人がいなくなる不安を感じている」人は52%、うち70歳以上では59%、20歳代でも38%に上っている。   
日本の自殺者数は1998年以来、ずっと3万人を超えている。この数と、家族のなかにも地域のなかにも居場所のない砂粒化した個人の状態とは決して無関係ではあるまい。

3. 家族や地域社会の再生は可能か?
戦後、高度成長を経て、核家族が普通の形態になってきた。敗戦と同時にアメリカからもたらされた個人主義は、単なるエゴとエゴがぶつかり合うだけの社会と化した。家庭においても、例えば、昭和30年代から40年代前半までは、テレビは一家に一台でテレビを前にしての一家団欒があった。家族のチャンネル争いなども懐かしい。ところが、今や、テレビは各家族が一人で見るもの、夕食でさえ、一人でポツンと食べる光景がよく見られる。誰にもわずらわされることのない「個人」の気楽さを堪能してしまった現代日本人に家族の再生は至難の業であろう。かといって今さら、戦前のような家族制度の元でまとまりを強制できるものでも、もちろんない。
加えて、新しい家族を初めから創設しない人々も増加している。国立社会保障・人口問題研究所によると、50歳時の未婚率(生涯未婚率)は、90年は男性5.57%、女性4.33%だったが、05年には男性15.96%、女性7.25%に上昇しているのだ。
地域社会においても、匿名で生きることの気楽さを簡単には個人は放棄できない。地域福祉論を学校で教えるソーシャルワーカーが実は、実際に住む地域では全く地域と関わりなく生活しているという話も、ご本人から伺った事がある。
個人レベルではもとより、地域経済の衰退からその財政が逼迫する地方行政に期待する形でも、従来の地域社会の再生は無理があるのかもしれない。
しかしながら、ここに新しい動きも見られる。新しい市民活動(NPO活動やボランティア活動などの非営利活動)の台頭である。こうした市民活動の要素には、信頼と互酬の規範が内在化している。そこには、直接的な見返りを求めない他者への奉仕の気持ちと併せて、将来、自分が困難に陥ったときに他者が助けてくれるかも知れないといった期待も含まれている。例えば、元気な高齢者が共働きの家庭の子どもに対して、夕食や勉強・遊びなどの相手をする代わりに、共働きの家庭はその代償を支払うという介護や子育てのコミニュニティ・ビジネスなどがこれにあたる。
そして、これら非営利組織を伝統的な地縁組織と融合させ、地域コミュニティの新たなニーズに応えるNPO法人等を設立し運営することで、従来の地縁組織とNPO法人等が連携・融合した新たなソーシャルキャピタル形成へと向かうことが期待される。私が10年来行ってきている成年後見に関する活動も、この体系の中に新しい位置付けがなされることが望ましい。
もちろんこの新しい体系においては、地域に暮らすすべての人を対象にした社会的包摂がなされなければならないのは言うまでもない。
(へるす出版 「現代社会と福祉」を一部引用させていただきました。)

2010年5月6日(木)

2010年5月6日 木曜日

ゴールデンウイークに、少し映画でもまとめて見てやろうと、DVDを4枚ばかり借りてきました。その中に、私が東京から帰ってきて間もないころ、確か梅田のOS劇場あたりで上映されていた「ゴースト~ニューヨークの幻」がありました。見よう、見ようと思いながら機会に恵まれず、ついに20年も経ってしまった作品です。

舞台は1990年頃のニューヨーク、主人公サムを演じたパトリック・スウェイジさんが、昨年2009年に膵臓癌で57歳の若さで亡くなってしまい、実際にも「ゴースト」になってしまったなどという笑えない現実に、時の流れを感じます。一方、恋人モリー役のデミ・ムーアさんの妖精のような可憐さは永遠に瞼に残るものでした。
銀行に勤めるサムのオフィスに置かれていたのは、分厚いブラウン管のデスクトップのパソコン、そして、サムへのビジネス客として彼がとても神経を使う相手が、なんと、日本人の「コバヤシ」。その日本人の「コバヤシ」が予定よりも早く来社したために、友人で同僚のカールに、自分のパスワードを教えて代わりに口座への振り込みを依頼したことが結果的にサムの命を奪うことになってゆくのですが、私が驚いたのは、銀行員のサムがとても気を使った相手が日本人だったことです。
そのころの日本は、バブル経済真っ盛り、金余りで1989年、三菱地所が約2000億円でロックフェラー・センターなどアメリカの象徴的なビルを次々と購入していた頃ですから、当時としては何の違和感もないお話しなのでしょうが、今となってはちょっとした驚きです。おりしも先月、鳩山首相が訪米した際には、正式な会談は実現せず、夕食会で隣に座らせてもらって非公式に10分程度、しゃべらせてもらっただけだったとか、今年中には、GDPが中国に追い抜かれるとか、経済的な没落を物語る話題に事欠かない昨今になってしまいました。

バブル経済は、この映画が作られた1990年の秋には崩壊し、その後、日本経済は、失われた10年、そしてさらに今に続く低成長、長期的低落へとつながってゆくわけです。ずぶずぶと底なし沼のように少しずつ落ちてゆくのが嫌で、1票の重さに期待を込めて政権を変えてみたら、今度はさらに落ちてゆく速度が増えただけだったという政治のお粗末さも我々は思い知らされてしまっています。小学生に、「大きくなったら何になりたい」と質問したら「正社員」という答えが返ってきたという笑えないお話が週刊誌に載っていましたが、社会に漂うこの閉塞感と下降感はいかんともしがたいものなのでしょうか?
明治新政府によって富国強兵が叫ばれ、この国を維持するために「坂の上の雲」を追いかけて頑張ってきて、その後、不幸な戦争の時代を経て、焦土の中からまた、生き残るために私の父親の世代は必死に頑張って高度成長を実現し、経済大国日本を築きあげてきました。明治以降、日本は軍事力か経済力かに常に力点を置いてきたように思います。特に戦後は、幸せの源泉は、経済力にあると信じて頑張ってきたように思われます。私が小学生の頃、今日よりも明日はもっと豊かになると信じ、家庭の中にも新しい電化製品が増え、大人たちはやれクリスマスだ、正月だと決まって騒いでいたように思います。しかしながら、経済力という視点だけで判断するのなら、日本が再び高度成長することは至難の技で、中国やインドに勝つことは大変なことでしょう。経済力だけに力点をおいて考えるのなら、この少子超高齢社会のなかで、これからの日本はさらに長期的な没落となるのかもしれません。人々の停滞感、閉塞感も解消されることはないでしょう。

高度成長期に日本を支え、いろいろな事情から子どもがいようといまいと一人で頑張ってこられ、今、ターミナルを迎えられたお年寄りの看取りを数多くしてきました私としましては、経済指標がいかに世界に冠たるものであっても、私しかお骨揚げをする人がいないたくさんのお見送りをしながら、そんなものは人間の幸せにとって、ゆめまぼろしにすぎないといつも思ってしまうのです。

いかんともしがたい時の流れの中で

2010年2月26日 金曜日

俳優の藤田まことさんがお亡くなりになりました。昨年11月に逝かれた森繁久弥さんに続いて、私の世代にとっては、子供の頃から、ずっとテレビ等で慣れ親しんできた身近な役者さんでしただけに、本当に寂しいものがあります。

森繁久弥さんは、私がまだ、高校生の頃、冬の寒い晩に、自宅の風呂場にラジオを持ち込んで湯船に浸かりながら聴いた「日曜名作座」の心に沁み渡るような名調子がまざまざと蘇ってきますし、藤田まことさんは、病弱だった父が入院していた国立大阪病院の面会時間が終わる頃に、決まってオープニングの白木みのるさんとの掛け合いが始まっていた「てなもんや三度笠」や、馴染めない高校生活でいじめに苦しんでいた頃、「必殺仕事人」の中村主水の裏稼業に溜飲を下げていたことや、今の仕事を始めた頃、金融危機で受注もなく、明日を悩んでいた時に、安浦刑事の不器用な暖かさに慰められていた「はぐれ刑事純情派」などなど、あの頃の自分に重ね合わせて、感慨深さもひとしおです。
森繁久弥さんにしろ、藤田まことさんにしろ、私の父や母の世代ですから、人生の先達たる方々の他界は、本当に胸に迫ります。いかんともしがたい時間の流れを思ってしまいます。

私は、20代の頃、営業をしていた時に、十二指腸潰瘍を患い、それ以来、無理をすると決まって胃に軽い痛みを感じ、いわゆる持病のようになってしまいましたが、それ以外は、至って丈夫で、40代後半にして剣岳に登った時も、さほど息切れすることもなく、自分では体には自信を持っておりました。ところが、昨年の11月、母の日用品を近所のスーパーでどっさりと買いこみ、両手で下げるにはあまりに重いので、肩に載せて担いで帰ってきて、2、3日後、右手と頸に異常な痛みを感じるようになってしまいました。右腕は、上下碗の筋肉を動かすたびにペンチでつままれているような激痛がおこり、頸のつけ根あたりは熱を帯び、歩くだけの振動でも切ない痛みで立ち止まってしまいます。右が利き腕ですので、文字を書くこともままならず、パソコンのキーをたたくことさえも痛くてできません。
整形外科医の診断結果は、頸椎症、頸椎椎間板ヘルニアということでした。レントゲン、MRI画像でも、頸の骨の湾曲は明らかで、10年も20年もかけて悪くしてきたところに、重いものを肩に担いだことが端緒になって症状が現れたということでした。
ショックなのは、医師が言うには、もう、一生、治らないから、今後はうまく付き合うしかない、登山などもっての他と言われたことでした。

幸いにして、その後、いい整体師を知人から紹介してもらって、痛みも痺れも軽減され、パソコンを操作することも可能になっていますが、相変わらず、骨は曲がったままです。
いかんともしがたい時の流れの中で、自分では気付かないうちに、少しずつ少しずつ骨は曲がり続けていたのです。
1月には、同じ司法書士会の支部でお世話になった、岩邦繁先生が60歳の若さで、お亡くなりになっています。昨年の秋に支部旅行をご一緒させていただいた時にはお元気で、まさか、半年も経たないうちに逝ってしまわれるなんて夢にも思われないことでした。
日々、速度を増すように思われる時間の中で、残された10年なり20年なりが、私の生きざまを問われる期間であるような気がしてなりません。

いつか来た道

2009年5月1日 金曜日

2001年5月に誕生し、2006年9月まで続いた小泉政権によって、「聖域なき構造改革」が行われ、その中で、規制緩和と民営化の推進がなされた。それまでの内閣ができなかった不良債権処理にも成功し、危機的な財政も若干の立ち直りをみせた点など一定の評価はなされるべきだが、この内閣が断行した施作により、一層の貧富の差が生じた。
ひたすら経済合理性・効率化が図られた結果、各企業は、人件費負担の軽減のため、正社員の数を減らしてアルバイトやパートタイマー、派遣社員といった非正規労働者の数を増やしていった。厚生労働省の集計によると、1992年度は65.4万人であった派遣社員の数は2004年度には226.6万人と、12年間で3.5倍に膨れ上がっている。
2005年9月発表の厚生労働省の統計によると現在の派遣就業中の賃金(時間給換算額)をみると、
1,000円未満 19.2%
1,000円~1,500円未満 52.9%1,500円~2,000円未満 21.2%2,000円以上 3.4%
となっている。
同じく2005年厚生労働省の「賃金構造基本調査」によると、正社員と非正社員の賃金格差は、例えば男子で比べると、(1か月当たり単位1000円)
年齢     正社員   非正社員
18歳から19歳 169.1 153.5
20歳から24歳 201.2 173.5
25歳から29歳 243.0 201.9
30歳から34歳 291.1 224.0
とその差は歴然である。
2004年の労働者派遣法改正により、物の製造業務(製造業)への派遣が解禁になったことも派遣労働者の増加にさらに拍車がかかることになった。
なお、派遣労働者の年齢分布を、2004年の厚生労働省の集計でみると、25歳から34歳の年齢階級が全体の50.0%を占めており、若年層が圧倒的に多い。平均年齢は男性で37.0歳、女性で33.9歳となっている。
小泉内閣が目指した日本経済の効率化により思惑通り、非効率的な企業は市場から淘汰され町には失業者があふれ出た。しかしながら、その失業者を吸収する生産性の高い企業が次々に現れ、結果、「改革」は成功裏に終わるというシナリオ通りには予測に反して事は運ばなかった。
効率化を阻むものとして終身雇用制、年功序列賃金が崩壊し、または企業倒産や人件費負担を減らすため賃金の高い中高年層を中心としたリストラにより、中高年層でも低所得に呻吟する人々が確実に増えていった。
2005年の厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」によると、年間の所定内給与が200万円未満の45歳から59歳の男性労働者の数は、2001年には30万8930人であったのが2005年には9万1080人増加して40万10人となっている。
2005年の自殺者数32,552人のうち、40歳代・50歳代の合計者数は12,794人で実に40%を占める。中高年自殺者の動機では、「経済・社会問題」が圧倒的多数をしめている。
④リーマン・ブラザーズの破綻と深刻化する貧困
2008年9月15日、米大手証券会社リーマン・ブラザーズが、連邦破産法11条(日本の民事再生法)を申請、事実上倒産した。引き金となったのは米国の低所得者向けローンであるサブプライムローンの破綻あるが、この日を境として、世界は100年に一度といわれる大不況に陥っていった。金融は言うに及ばず、これまでは優等生的な存在であった製造業でも輸出関連で落ち込みが激しく、減収減益、リストラが断行されるようになった。そしてまっさきに犠牲者となったのが、小泉政権時代に対象として拡大された、製造業に従事する派遣労働者であった。小泉改革は、麻生政権により大きく舵を切り替えられることになり、経済再生に向けて様々な施策がなされているが、回復の兆しはまだ見えず、多くの国民が貧困の迫りくる靴音におびえている状況が続いている。
⑤新自由主義の崩壊―いつか来た道
有名なアダム・スミスの「見えざる手」につらなる1980年代に登場した新自由主義の名のもとに、英国のサッチャリズミ、米国のレーガノミクスを擁して、規制緩和、国営・公営企業の民営化、市場原理至上主義、グローバル化などともっともらしいいセリフで突き進んできた「資本主義の先祖がえり」は、今回のアメリカの経済破綻で、完全にその指導性を失った。未だに未練たらしく自己の「信仰」を説き続ける竹中平蔵氏などはある意味で、気骨のある人物と言えるが、実際の貧困に苦しむ庶民にその論は今や全く説得力を持たない。
1929年の世界恐慌に対しニューディール政策がとられたように、今、各国政府が経済に大きく介入して立ち直りに躍起となっている。いつか来た道の再来である。
その中で、一層、深刻化した貧困問題が、今後どのように推移していくのか誰にも予測できないところに真の恐怖が潜んでいるのだ。

「寅さんは、もう、いない」

2009年3月2日 月曜日

日曜の午後6時30分と言えば、フジテレビの「サザエさん」が長年、高視聴率を独占してきました。テレビ放映の開始は昭和44年、九州の新聞「夕刊フクニチ」への連載開始は昭和21年のことだそうです。サザエさんを中心に、その夫のマスオ、父波平、母フネ、弟カツオ、妹ワカメという大家族が、隣に住む伊佐坂先生や三河屋さんをはじめ地域社会の中で、ほのぼのと温かく物語を織りなす誰もが知っている人気アニメです。ちなみにこのなかでの波平はまだ、54歳という設定だそうです。
時代が下って、「クレヨンしんちゃん」の連載が始まったのは平成2年。主人公5歳の幼稚園児しんのすけが両親のひろしとみさえと春日部に住んでいます。ひろしはそこから霞ヶ関まで長距離通勤です。ひろしの父母は秋田県、みさえの父母は熊本県に住んでいるためしんちゃん一家は核家族です。連載の途中で妹のひまわりが誕生するものの、しんちゃんの幼稚園の仲間達にも、兄弟がたくさんいるようには思われません。
それからさらに約20年を経たこの平成21年。今を舞台にホームドラマを描こうとすれば、たぶん、老夫婦2人にいつまでも自立できない30歳代の息子や娘の物語とか、都会の片隅でひっそり暮らす老いた母のもとに、派遣切りにあって帰ってくる40歳代の息子の話とかになるのでしょうか?はたまた、年収200万円以下のほとんどワーキングプア状態にいるひとり親家庭で、母の帰りをひとりぽつんと待つ幼い男の子の物語でしょうか?
昭和32年に始まったNHKの長寿番組「きょうの料理」も「目安となる材料の量」を今年の3月30日放送回から、4人分から2人分に切り替えるそうです。
そう、もはや言い尽くされたとおり、この平成の日本は、非婚化・晩婚化が進んだ少子超高齢社会で、さらに離婚率の増加によるひとり親家庭など、核家族がひしめく時代になっているのです。そして、そのぽつねんとした家族たちを取り巻く地域社会は、生活保護を打ち切られ、餓死しても、何か月も遺体が発見されない、希薄な環境として存在しているのです。
「コミュニティ」などは、程度の低い厚労省の役人が書く作文の中にだけ存在するにすぎません。

昨今の新聞記事には、家族が巻き込まれる目を覆いたくなる事件が多すぎます。昨年、平成20年の新聞データをざっと見ても、
①42歳の男性が両親と妻の胸や腹を刺して死亡させ、小学2年の長男と幼稚園児の二男も重傷を負うという事件が起きた。寝ているところを襲い、男性自身も自殺を図っている。家族経営の製本会社がうまくいかなくなった末の凶行で、大黒柱だった男性は、明るくまじめな性格で、町内会の活動もがんばっていたという。(東京都)
②40歳の母親が9歳の長男の首を絞めて殺し、自身も睡眠薬や解熱剤を大量に服用して自殺を図った。子育てや暮らしがままならないことに絶望しての無理心中だった。(千葉県)
③6歳の女児が母親(29歳)と同居していた男性(21歳)に暴行されて死亡した。(大阪府)
④39歳の会社員男性が16歳の息子を殴って死なせた。都内の私立高校を退学した息子は無職で、生活態度をめぐってもめていた。5人家族だった。(川崎市)
⑤空調会社を経営している男性(53歳)が家族を斬り殺す事件があった。妻は刃物で切られたうえネクタイを首に巻かれた状態で、中学3年の次女も刃物で切られて死亡した。(宮城県)
⑥会社員男性(31歳)が1歳児の息子に暴行を加えて意識不明の重体にする事件があった。(埼玉県)
親が子を殺し、子が親を殺す。社会の荒波から、本来、防波堤となるべき家族・家庭が牙をむきだし、悲劇の舞台となっています。町の片隅で核家族化し、あるいは形態的には大家族を保っていても、精神的には孤立して、「砂粒」のようになった人々の悲鳴が聞こえてきそうです。父親は食わんがための経済活動に忙しくて、時間的にも精神的にも余裕はなく、母子は二人きりで地域社会からも孤立した空間で、密着した時間を過ごしています。一昔前は、そういう母子関係から生じる病理は「母原病」などと指摘されたものですが、昨今の100年に1度などと言われる経済不況で、父親はますます追い詰められ家庭での「父親不在」状態は固定化し、母子の窮屈な人間関係がますます形成されてゆくように思われます。一方、お年寄りたちは、「生活」に追われる子供世代を見て、迷惑をかけまいとひっそり老夫婦で寄り添い、片方に先立たれた後は、一人でほそぼそと暮らしている情景が目に浮かんできます。
「サザエさん」には、ノリスケおじさんという緩衝材のような人がいました。サザエさん一家に若干、違った視点や雰囲気を持ち込む存在です。渥美清が主演して国民的ヒットとなった「男はつらいよ」では、吉岡秀隆演じる甥の満男には、まさしく「寅さん」がそういう存在でした。両親が離婚した傷心のガールフレンド泉(後藤久美子)に会うために予備校をさぼって九州までバイクで会いに行った満男を、世間の常識で両親は非難しますが、そんな満男を寅さんは庇います。
「お前たち、満男を一人前の男とみてやらないといけないぜ」
一昔前は、家族の中にも、近所にもそういう、違った意見を言ってくれる人がいたものです。燃えたぎり、煮えたぎり、カチカチになった家族の人間関係をふっとほぐしてくれる存在がいたものです。それが、家族の中からも、地域社会の中からも消えてしまったところに、言うなれば自動車のハンドルの「遊び」のようなものが少ない人間関係が出来上がってしまっているのだと思われます。家族に、逃げ場がないのです。ですから、家族の形態が小さいだけ密接、密着していた分、何もことがなく順調な時には、近所もうらやむような親子兄弟が、いったん、夫のリストラなどの経済危機や、子どもの受験の失敗、学校でのいじめ、夫婦間の行き違いといったことが起こり、自分たちでの解決に失敗するともはや、もっていき場を失って、暴走するケースも多々あるように思えます。家族の構成員の内で誰かが立ち止まり、冷静になればすむものを、どんどん、どんどん小集団が各自の感情をむき出しに爆発させながら、加速度的に追い詰められていくのだと思います。
そういったエネルギーが、家族に向かない場合は、自分自身に向かいます。「自殺対策白書」によりますと、2007年の自殺者は過去2番目の多さで、これで10年連続して自殺者は3万人を超えたということです。
追い詰められ我慢の限界を超えた人々の悲鳴が、いたるところに満ち満ちているのが現代日本です。大恐慌に匹敵する不況下で、経済的にも、さらに追い詰められ、家族にも家庭にも安住できないばらばらな砂粒と化した個々人が、見えてきます。昨今の新興宗教の隆盛、占い・スピリッアルブームも、ここに起因するように思われます。
1945年の終戦後、敗戦国日本は、経済復興こそが幸せになる途と信じてずっと努力を重ねてきました。アメリカからもたらされるものを受け入れ、日本的なものを投げすてあるいは変質させて、今の日本を築き上げてきました。その先頭に立って頑張ってこられたのがおそらく「団塊の世代」の方々でしょう。現在の「こころ寂しい」社会の原因にはいろいろなものが複合的に影響を与えているのでしょうが、一貫して経済効率一辺倒でやってきた社会の一つの帰結点がここにあるように、私には思えてなりません。

『夜会』VOL・15~夜物語~元祖今晩屋

2009年2月16日 月曜日

中島みゆきさんの「夜会」に2006年に続いて行ってきました。会場となった、「シアターBRAVA!」(大阪市中央区)には、「大人」の紳士淑女が集い、オフィス街の日曜の夜、寒風吹きすさぶ外と違って、会場には控えめではあるものの熱気が渦巻いていました。
私が初めて中島みゆきさんを知ったのは、「わかれうた」が、大ヒットしていたときですから、大学生活を始めた1977年の頃です。それからも、「悪女」、「空と君のあいだに」、「旅人のうた」、「地上の星」等、各年代を代表するヒットを出されてきました。
さて、今回の「『夜会』VOL・15~夜物語~元祖今晩屋」のモチーフは、森鴎外の「山椒大夫」で「安寿と厨子王」のその後の物語をミュージカル風に表現したと新聞などには書かれていますが、「山椒大夫」を中学生の時以来よんでいない私にとっては、ストーリーは難解でついて行けませんでした。ただただ、寺院が炎上するシーンや、2幕に実際に水が流れ出す演出、そして、何よりも、中島みゆきさんの迫力ある声量に圧倒された時間でした。
DVDにでもなったら、是非、買って展開を追いかけてみたいという気はありますが、私なりの「夜会」の楽しみ方とすれば、その場で何かを感じればいいのだと思っています。
何曲目だったか、「許され川」を渡れ、「許され川」を渡れと歌っていたのが、私には、煩悩の此岸からそれを捨て去って彼岸に渡れと聞こえて仕方ありませんでした。これも、日々、欲望、怒り、迷いに懊悩しているからでしょう。
同じように、前回の「VOL・14 24時着 00時発」では、永遠の命のようなものを感じて、彼女の歌声にひとり感動して鳥肌を立てていました。これもきっと、ひとりよがりな受取り方なのでしょうね。
彼女は、1952年生まれ。私より少し年長の桑田佳祐さんのいるサザンオールスターズが活動を休止したり、同世代の明石家さんまさんが週刊誌で、「老い」が迫っているなどと書かれる昨今、ど迫力のある歌声で、全く衰えを感じさせない彼女の存在は、まさしく、私の希望の星でもあります。
次回も必ず「夜会」にお邪魔して、自分勝手な解釈で、勝手に鳥肌を立てようと思っています。
とにかく、中島みゆきはすごい!

今年もよろしくお願いいたします

2009年1月12日 月曜日

いよいよ2009年が始まりました。
100年に一度という経済不況のなかで、今また、中東で悲劇が起こっています。たくさんの子供たちが無残にも亡くなってゆく様子をテレビで見るたびに、胸が潰れる思いがします。
日本の政治にはそれを助ける力はなく、タテに歪んだ口を開けば「読み間違い」、書き初めをすれば、「書き間違い」をする宰相ならば、期待する方が無駄なことはわかっておりますが、情けない限りです。

しかし、新年だというのに、この閉塞感はどこからくるのでしょう?
お正月の番組で、例の改革の旗手だった学者様で政治家だった人が、今回の派遣労働者の窮状について改革が間違いだったのではないかというような議論を受けて、それこそ理路整然と、改革の正当性を論じている場面を見ました。反対をとなえる教授は、決定打をその学者様に与えることができず、見ていてどこかもどかしい気がしましたが、しかし、私は、学者様が自己の理論の正当性をそれこそ縦板に水のごとくおっしゃっているのを聞くうちにある種の嫌悪感さえ覚えてしまいました。
彼は、あくまでも学者様です。政治家ならば、その発言で視聴者を納得させなければなりません。人は、いくら理論だてて、明晰な頭脳を披露されても、納得できるものではありません。かえって、反発を感じてしまうものです。そこがわからないのが、彼が学者様にすぎない所以です。
また、学者様ですから、政治的な責任をとるということなど、全く無縁なことです。職業政治家なら、政治生命を断たれたりして、つまり、「ただの人」になってしまって、下手をすれば路頭に迷うわけですが、彼にはありがたい大学が待っていてくれました。これからも、きれいなおべべを着て、おいしいものをいっぱい食べて、財界主催の「シンポジウム」などで賢いことを得意満面で話して暮らしてゆくのでしょう。
いつ、食べられなくなるかわからない人の気持ちなどわかりっこないですよね。
その彼を重用した時の宰相も、やれ、オペラだ、クラッシックだと騒いだ後で、急に政界を引退し、「私も親ばかでして・・・」と、何の苦労もわからない、イケ面の二男に選挙区を譲る。「自民党をぶっ壊す」などと言いながら、実質、何も変わらず、壊したのは、国民の生活だけで、自分の政治家の地位は、恥ずかしげもなく、「世襲」しようとしている。

標なき時代に、一条の光かと思った「改革」の正体を知ってしまったところに今の閉塞感の一つの原因があるように思います。この困難な時代に、今後、何を信じてどこに向かってゆけばいいのか、その出口が見えない空虚さに人々の心は侵されているように思えます。

私は、大きなことはできませんが、私の事務所を頼ってくださる方々のお力になれるよう、本年も精一杯頑張りますので、よろしくお願い申し上げます。

年の瀬に

2008年12月29日 月曜日

今年は、大変な年だったように思います。
そう言えば、毎年、この時期になると一年を回顧するような文章を書き、いつも大変だった、大変だったと言っているような気がしますが、でも、今年は特に大変な時期の始まりのような気がします。

年初、私は、「ワーキングプア」関連の書籍を数冊買い求め、ここ数年来の「改革」のもたらしたものとして、「格差社会」を嘆き、その後、実際に事務所で受託する事件を通じて、ひしひしと身をもってその不条理を感じていました。その間、全く何の面識もないにも拘らず引きおこされる「無差別殺人」に、低賃金で人間を人間扱いしない派遣労働が関係していることを報道で知り、暗澹たる気持ちになったものでした。それだけでも十二分に悲しく新聞を見ることさえいやになってしまうほどであったのに、つい3か月前、強欲に強欲を重ねたリーマンブラザーズの破たんを引き金に、世界規模の大不況が全人類を覆い尽くし、なんとも言葉を失うような状態に転げおちてしまいました。
来年の経済がよくなる材料はなく、職を失い、住む所さえ失った人々が、どのようになるのか。人間は、そんなにタフではなく、どんなに虚勢を張っていようと心は特に傷つきやすい存在だと私は思っています。私も、長年、冬の寒風吹きすさぶ夜の交通警備のアルバイトなどで、鼻水たらし体中を凍らせてやっといただいた6000円で食いつないでいた時代がありました。まだ、私など、それでも仕事にありつけた時代でしたからまだしも、今は、それさえもない。人々は、どのようにしてこの寒い冬を乗り切るのか。今年は、寒さだけが異様に身にしみる年の瀬となってしまいました。

今年は、私個人的にも、その設立以来の会員であった、「成年後見センター・リーガルサポート」を退会したというちょっと心情的には穏やかでない年でした。さまざまな理由はありますが、ポツポツと述べてきたこともほとんど伝わらない情けなさ、あくまで一後見人として今、現前にいらっしゃる被後見人などクライアントのためだけを思って後見業務を行ってゆきたいという私の願いと微妙にリーガルがずれてゆくのを感じ、退会を決意した次第です。組織の上に立つ者は、その理想が独善に陥り、結果、かえって理想と反対の方向に行かないようあくまでも謙虚にいたいものだと自分自身にも思ったものでした。

来年は、さらに厳しい時代が予想されますが、私は、私の事務所を頼ってくださる、多くの方々の負託にこたえるべく、なかでも、お世話させていただいている多くのお年寄りなどの方々のために、全力で取り組んでゆく所存です。
本年は、まことにお世話になりありがとうございました。来年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。
皆様が、暖かい新年をお迎えなさいますよう、心からお祈りいたします。

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